あるのかないのか

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メディアが作る現代「王様殺し」

Gmail - mail from hatebu ≪イケニエの候補者の目印≫

一目小僧(ひとつめこぞう)」というバケモノのことはご存じだろうが、あれは神様にイケニエをささげる慣習があったころの遺制だ、という説がある。簡単にいえば神様をお祭りするときに、人間をひとり殺して奉納するのである。そのイケニエの候補者を識別するために、あらかじめその眼球に傷をつけて目印にしておく。それが「一目小僧」の起源だというのである。だれを「一目小僧」にするかは村や部族の占い師が決定したもののようである。

殺されるというのは、あんまり愉快なことではないけれども、太古のひとびとはイケニエにされることでみずからも神様の一部になると信じて従容(しょうよう)として死についたのだろう。それにイケニエの候補者として目印をつけられた人間はその生存中から神聖な存在としてだいじに取り扱われた。奉(たてまつ)られ、厚遇され、しばしば神様と同格のもの、とみなされた。

日本だけではない。フレーザーの有名な『金枝篇』という書物には「殺される王」という章があり、世界じゅう、どこでも王様はしばしば殺されたという事例がたくさんあげられている。いや王様が殺されたのではない。正確にいえば最終的には殺すために王様という存在をつくりあげたのである。殺されるかわりに、生きているあいだは尊敬され、ゼイタクもさせてもらえる。要するに「神聖な王」は殺されるべく運命づけられていたのだ。 viewer - s005192@gmail.com

そこらの無名の人間が麻薬乱用で逮捕されようと有罪判決をうけようと、そんなことはニュースにはならない。しかし尊崇(そんすう)を一身にあつめる偶像となれば事情はちがう。なにしろ相手は神様である。神様殺しは入念、ていねい、そして執拗(しつよう)につづけられなければならぬ。そして尊崇の念が深かったら、それに比例して悪口雑言をきわめて呪詛(じゅそ)し、見るも無惨(むざん)な方法でなぶり殺しにかかるのである。これが現代版の「殺される王」の運命なのである。

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